池田 龍之介の部屋

プロフィール

新潟県柏崎市の山間部の農家に生まれる。本名は池田武人。書籍や雑誌に執筆する際には、ペンネームである「池田龍之介」を使用している。サラリーマン時代、執筆との2足のわらじを履いていたときに、便宜上、このペンネームを使っていた。

恥ずかしがり屋なのに目立ちたがり屋、団体行動が嫌いなくせに大将になりたがり、だらしないのにきれい好きなど、複雑な性格が幼少期から片鱗をあらわす。誰も入ったことのない洞窟や、廃線になったトンネルを友達・後輩を引き連れて探検したりという親が知ったら卒倒しそうなことをして幼少を過ごす。

高校生になって、突然、文学の道を志す。乱読と執筆の文学修行が始まる。ロマン・ロラン、トーマス・マン、モーパッサン、太宰治、北杜夫・・・など数々の蒼々たる文士と知己になる。以後、約10年に渡り芽も出ず、出版予定もないが、有り余るエネルギーを文章修行に傾けることになる。

新聞配達しながら東京の私立大学に入学するも、すでに過保護のアホ子供の遊び場と化している大学に失望し(私は大学という所を五木寛之氏の「青春の門」、夏目漱石の「三四郎」のような世界だと勘違いしてました)、大学を休学し、決死のアルバイトでヨーロッパ行きの資金を稼ぐ。

とりあえずロンドンの語学学校(今はどうかわからないがその頃の英国は外国人でも学費・医療費は無料だった)に入学し、皿洗いや映画のエキストラなどをしながら、フランス・スペインを放浪する。夢とロマンと希望と友情と汗と金欠に満ちた大冒険を経て1年後に帰国。 

帰国後は小説を書いたり、ライブハウス回りのロックバンドをやりながら、何とか大学を卒業する。小説家になるか、ミュージシャンになるか、サラリーマンになるか・・・・結局、唯一体験したことのないサラリーマンの世界を体験しておかなくてはいい小説は書けまい・・・という妙な発想から「人並みに会社に就職する」という自分には縁遠いと思っていた道を歩いてみることにする。某石油元売り会社と某ソフト会社に拾われ、ソフト会社の方を選んだのが、コンピュータとの出会いである。 

ソフト会社に2年いた後、卸し売り商社に入社。企画・発想などの分野で「変人」らしい特異な才能を発揮し出して重宝がられ、サラリーマンもまんざら悪くないなと思い始める。システムマネージャ、経営企画室室長など経る。 

サラリーマン中に執筆した「入門 Z's STAFF Kid98 Ver.3」がスマッシュヒットしたのに調子に乗って、テクニカルライターとして独立。

1991年 C&R研究所設立。代表取締役社長。現在に至る。 多くの優しい人との出会いに感謝。

 
 主な著書

「入門 Z's STAFF KiD98 Ver3」
「入門 KiT」
「入門 松Ver.5」

「MS-DOS Ver.5リファレンスガイド」
「教育版 弥生販売管理3」 (以上、エーアイ出版)
「入門 JG Ver.3」 (明日香出版)

「DiskXU活用ハンドブック Ver.1対応版」
「DiskXUVer.2ハンドブック」
「Lotus1-2-3印刷のすべてがわかる本」

「はじめて使う一太郎Ver.5 快適環境設定&基本操作マスター編」
「はじめて使う一太郎Ver.5 とことん活用編」
「はじめて使う三四郎」
「はじめて使う五郎」
「はじめて使う花子Ver.3」

「Windows版 はじめて使う一太郎Ver.5 快適環境設定&基本操作マスター編」
「Windows版 はじめて使う一太郎Ver.5 とことん活用編」
「Windows版 はじめて使う三四郎」
「Windows版 はじめて使う花子Ver.3」
「Windows版 はじめて使う一太郎Ver.6」
「Windows版 はじめて使う一太郎Ver.6.3」

「98ユーザーのための CONFIG.SYSのすべてがわかる本」(以上、ナツメ社)

その他、エーアイ出版のMook、ナツメ社のステップ図解シリーズなどの共著、アスキーのWindowsMagazine、日経新聞・日経産業新聞などへの寄稿多数。

 
 趣味
ギター演奏、ベースギターのスーパー速弾き。渓流の散策。菅名岳の山麓の樹齢300〜500年のブナや桂の原生林(ここを「宇宙エネルギーの森」と勝手に銘々して、県外からの友人が来るとつれていっている)を散策している。 

料理。学生時代に赤坂の料亭やフランス料理店でアルバイトで厨房に潜り込んでいた経験を生かし、休日にはパスタ作り(もちろんソースは手作り)や薫製(もちろん薫製装置も手作りである)、中華料理(もちろん、化学調味料は使わないし、ラー油などの調味料もできるだけ手作りにこだわる)、和食(もちろん、昆布とカツオから出汁をとる)など何でもこなす。趣味が高じて、たこ焼きの人気専門店を持っていたこともある。 

ヨット、乗馬(これは新潟競馬場でただで乗れます)、釣り…と新潟在住のメリットを生かした趣味に首を突っ込むも、すぐに飽きて放り投げてしまうのが悪い癖。現在はギターと料理のみに落ち着いている。また、最近はアルトサックスやドラムスを密かに練習している

 
 ライフワーク
高校に進学して教師を天職としている希有な社会科の教師2人と出会う。それまで殺伐とした教師しか知らなかった私は、初めて「本当の教育」を受け、大いに感化を受ける。教師の役割・影響力は重大かつ偉大である。一人の出来の悪い小僧の目を開かせてしまうのだ。

その後、欧州放浪中に野宿している公園で、上空にでかくて明るい回転する物体(おそらく流星、あるいは人工衛星の燃え尽きる瞬間、あるいは目の錯覚)がゆっくり夜空をゆっくりと横切るのを目撃。なぜか「運命」とか「使命」とかいう言葉が頭に浮かぶ。その後、「あれは宇宙人の乗ったUFOだった」と長年にわたって吹聴していたが、40歳を過ぎてどうも違うと気がついた。かなり人騒がせなお調子者である。ただ、いずれにせよ、精神の覚醒を体験したことは間違いない。

以上の2つの体験を契機に、一般的な常識・価値観・見栄というものをいったん破壊し、新しい生き方を開始することになる。結果、くだらん常識・見栄を捨てると結構楽しく生きられるし、毎日がアドベンチャーゲームのようにエキサイティングだと気づく。「変人で善人」「お人好しで頑固」「楽天家で小心者」「アバウトで神経質」・・・・配偶者と友人にはそう言われている。勝手に町のゴミ拾いをしたり、見ず知らずの路上生活者と歓談したり、やっぱりへんてこりんな人間である。「人の世話をし、人を育て、人と一緒に大いに笑い、地球のために良いことをする」これがライフワークである。

 
 ほろ酔い独り言
若者よ、無鉄砲な根性は大事だぞ!

無鉄砲さにおいては、私はその道の大家(たいか)である。
かずかずの無鉄砲エピソードの中から、ベスト5に入るのが、これから話す「ロックバンドで食べていこうの巻」である。

高校1年生の時、私は突如、道路工事のアルバイトをして得た1万5千円で、モーリスのフォークギターを手に入れた。しかし、そもそも動機が不純である。高校に入学してすぐ、休み時間にフォークギターを弾いている男友達の周りに女子生徒が群がっているのを見て、「よし、俺もフォークギターをやる!」と決意した。それから数ヶ月、血のにじむような努力でギターをマスターした訳だ。まぁ、きっかけは不純な動機だったが、この年になってもいまだにギターで遊んでいる所をみると、音楽そのものの魅力に触れたということが言えるかもしれない。

その後、大学に行ってライブハウスを見に行った時に、ライブ後に外人の女の子達に取り囲まれていたギタリストを見て、「よし、俺もロックをやろう!」と決意した。またまた不純な動機である(面目ない、よい子の皆さんは真似しないでね)。そして、すぐにメンバーになれそうという安直な理由で、ヤマハの安物のベースギターを手に入れて、3ヶ月の特訓を独学でやった。そして、無謀にもバークリー音楽院出身かつ渡辺貞夫バンドのメンバーだったという米国人のエリートドラマーがやっていたバンドのオーディションを受けるに至ったわけだ。

オーディションの本番、いきなり楽譜を渡されて、初見で演奏することになった。通常のロックだとA-D-Eという単純な3コードを中心に展開するのが多いが、楽譜にはB♭やF maj7やD#などの複雑怪奇なコード進行になっている上に、ロックっぽくないリズム進行(フュージョンってやつ)になっていた。

オーディションに来ていた5〜6人のベーシスト達は、どれも凄腕らしい自信満々の表情の上に、フェンダー(車でたとえると「ベンツ」みなたいなブランド)やリッケンバッカー(ポールがビートルズ時代に引いていたやつ)という当時20万〜40万くらいする一流のベースを持っていた。もちろん、彼らは初見で楽譜を読みながら、ヘッチャラな顔をして実に淡々とプレーしていた(しかも高い楽器はさすがに音が良いのだ)。いわゆるスタジオミュージシャンタイプの人たちだった。

そして、いよいよ私の番が来た。「1.2.3.4」とドラマーが外人っぽい発音(だから外人だってば)でカウントを開始し、課題曲が始まった。もちろん、私はヤマハの1万5千円の安っぽいベースギターをデタラメに引きながら、野望にギラギラ光る目と実力不足で顔面蒼白というのが混ざった複雑な表情で立ちすくんでいたわけだ(バカだね)。スタジオにいる全員の気の毒そうな視線が私に集まっていた。この時点で私は、地球が消滅するボタンがあったら、迷うことなく押していただろう。

しかし、オーディションの結果、なんと合格したのは唯一楽譜が読めない私だった。理由は「雰囲気がいいから」。特にこのバンドに付いているスポンサーと、バンドリーダーが私を押してくれた。つまり俺のルックスが良かったわけね・・・と妙に納得したのは私が自信過剰なアホだったからだった。真相は「楽譜が読めないのにこんな所に来る無謀なほどの度胸は、これからロック路線で戦っていく我々のバンドにとって、必要なガッツである」という理由だったらしい。淡々とプレーするテク優先のスタジオミュージシャンタイプは掃いて捨てるほどいるのが音楽業界の実情だったのである(これは今も同じ)。

結局、我々のバンドはどのメンバーもメジャー路線では成功しなかったわけだが、この無鉄砲なガッツはその後も、何度も私を窮地から救ったり、チャンスを与えてくれたりした。会社訪問に来る若者を見ていると、ドライで冷めていたり、覇気がなくておとなしかったり、他人には無関心なタイプだったりが多いが、やはりいざという時は、「無鉄砲なほど熱く燃える想い・根性」という今では死語となりつつあるようなものが頼りになるのだ。若者よ、もっと激しく生きろ。

p.s
 余談だが私はそのバンドのメンバーの顔の広さのおかげで、ジャーニーの日本武道館ライブ(ESCAPEをひっさげての日本ツアー)の時は報道陣用のステージ真正面の特別席で見れた。また、コンサート後にメンバーの宿泊先である京王プラザホテルの一室で、スティーブ・スミス(ドラマー)やニール・ショーン(リードギター)などと、夜通し音楽論(というか、どうやればメジャーで売れるかとか、前座だったハウンドドッグをどう見たか、耳コピーできないフレーズを実際にどうやって演奏しているかなどのたわいもない話だが)をかわすことができた。今にして思えば、マニアにはたまらないレアな体験だったのかもしれない。

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